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作年は、あまりポタに行けなかったなぁ〜
花見と佐吉ポタ(06)
生野(舎利寺)

今年は東京から桜の花の便りが早くて…
大阪も遅ればせながら〜
突然ポタは、まだまださんから伺った
丹波佐吉の素晴らしい仕事を見に!
カモさんと!ねずみ君と!!

※マウスポインターを置いてください。 

                                           撮影:平成25年03月30日 

げっ!
カメラの電池が無くなりました。。
此処からは携帯電話の画像で失礼します。。
でも、見れるやん!



路地風景を堪能しながら〜

※舎利寺さんへ!

到着しました!

※西国三十三箇所の石碑が立てられています。

戦後直ぐは
境内を子供たちが遊び場としたり
渡世人の方がゲン担ぎとして削ったとも
石仏群には手足がもげている物が〜
残念ですが〜歴史の証人

黄檗宗なんですと。

※「魚板」(魚鼓)

元の本堂の鬼瓦

※本日の本命〜
丹波佐吉さんの役行者像
大切に保管されています。
身の丈、約30cm程…(思ったよりホンマに小さいですよ)
前鬼、後鬼の表情が素晴らしい…

前鬼・後鬼
とてもリアルに掘られています。
砂岩でしょうね。

鉄杖の輪も1つずつバラバラに
成っています。

※彩色されていたんでしょうか?
芸術品です!!!

少し顔つきは違いますが、
負けず劣らず素晴らしい出来です。

※ご説明有難うございます。

テープに依れば〜
寺伝によると、用明天皇の頃、
この里に住む生野長者と呼ばれる夫婦に
言葉の不自由な子供が生まれた。
その子が十三歳の時、四天王寺を創建するために来られていた
聖徳太子のお耳にこの話が入り、早速その子を呼ばれて
「予が前世にて汝に毘婆尸佛びばしぶつの
舎利三顆しゃりさんかを預けていたが、
今それを返しなさい」と申された。

すると、その子は涙を流して喜び、
太子に三拝九拝して南無仏南無仏と唱えながら口より三顆(か)の
仏舎利を出し太子に返されました。

それよりこの子は普通に話せるようになった。
太子は三つの仏舎利のうち一つを法隆寺に、
一つを四天王寺に、残った一つを御自筆の御影をそえて長者に渡されました。
大変喜んだ長者は御堂を建て、この仏舎利を奉ったのが
舎利寺の起源と言われている。


※不動尊

弁天池

※裏の建物も境内だったとか。

石工さん達の腕の見せ所!

※ウットリします。

顔も無残に…



MOTTAINAIですね。。



色んな職人の腕が〜

ほんまやね〜

※目の正月を
させて頂きました。
オオキニ有難うございます!

市内で見かけた
3枚目のマダムソース看板

地蔵様のある風景

東日本大震災、台風・豪雨水害被害で被災された方々に、
お見舞い申し上げます。
中々、皆の都合が合わない。。。
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